3. インド古典音楽における即興性

 

インド古典音楽における「即興」という言葉は、特別な意味合いを持っており、その文脈どおりに理解する必要がある。

インド古典音楽は口頭により受け継がれてきた口承音楽である。そのため、書き記されたものの必要性は非常に少なかった。おそらく、即興で展開し広がってゆく、無限の可能性を持ったラーグ表現が、それを書き留めるという行為を難しいものにしたのかもしれない。

あらかじめ記された音楽がないということが、インド古典音楽演奏における、即興といういわゆる「概念」を発展させるのに役立ってきた。インド古典音楽の世界で一般的に理解されている、「即興」という言葉の意味は、ラーグの文法やガート(形式、ジャンル)を念頭に起きつつ、学んできたこと、実践してきたこと、または現在考えていることなどを、即興的に表現することである。

ラーグとそのガートを展開してゆくプロセスにおいて、半既成曲と、即興という素材が使われる。半既成曲のピースを、「バンディッシュ」と言い、ラーグ、タール、そしてそのガートを軸に作られている。作曲家、あるいは演奏家がバンディッシュを作るとき、まず、採用するラーグの文法、タール、ガートの枠内の中で使えるマテリアルを即興的に演奏し、やがてそのラーグ、タール、ガートを踏襲した、しっかりとした骨格を持つ既成曲として、演奏され得るべき形に仕上げていく。しかしこの、作曲されたピースであるバンディッシュはまた、その展開のすべてを通したプロセスにおいてもまた即興的変化がなされ、さまざまな色彩が加えられ、生命が吹き込まれてゆくのだ。

即興で演奏されるアーラープ、ターン、サルガム、ボルのフレーズが、ガートを展開してゆくための即興的マテリアルとして採用される。そして、半既成曲である「バンディッシュ」は、即興で紡ぎ出されるマテリアルを囲む「柱」的役割を担うことになる。インド人音楽者は、長い時間の修練によって、即興演奏を学んでゆく。それぞれの音の位置、組み合わせ、動きや表現を、徹底的に身につけるのだ。単一の音から始まり、短いフレーズから長いフレーズ、練習する音の組み合わせはその展開の仕方、動きや表現において、ますます複雑になってゆく。彼らはそのような修練を重ねているため、実際の演奏中に、練習してきたそのままのフレーズや流れをそのまま追う必要はない。彼らはすでに、さまざまな音楽フレーズを創造する、技術と経験を備えているからだ。彼らはこの経験を、ステージ上で活用する。しばしば彼らはステージ上において、以前やったことのない、斬新で、驚くべきフレーズを思いつき、それをその場で演奏するのだ。

ラーグとガートを展開する最初のフレーズは通常、基音周辺の2~3音にフォーカスをあてる。展開が進んでゆくと、低いオクターブの音、中間のオクターブ、そして高いオクターブへと、音が積み重なってゆく。即興において使われる音は、演奏されるラーグとガートの持つキャラクター、性格によって、異なる扱い、表出の仕方がなされる。ただし、そのラーグの特定のフレーズを採用するか否かは、演奏者それぞれの美的感覚と、ラーグの解釈により違ってくる。

ライト音楽や映画音楽、またはそれに類似した、音楽マテリアルやスタイルの、自由度の少ないジャンルの作曲家に比べ、古典音楽作曲家にとって、あらかじめ決められたルールのある既成曲を作ることは、難しい面が多い。古典音楽と違いライト音楽は、即興的展開を必要としない音楽である。しかしそれにより軽い曲調の音楽のバラエティが広がり、それが聴衆にとって魅力的なものになってゆく。

古典音楽においては、機械のようにいつも同じ演奏はできないし、一度演奏したフレーズを、まったく同じに繰り返しをすることはほとんど不可能である。そういった意味で、一度演奏したものも、何度でも即興的に展開することができるのだ。

たとえば、ラーグ・カリヤーンのアーラープを即興で演奏するときにおいて説明してみよう。

ラーグ・カリヤーンの上昇スケールでは、SaとPaを飛ばして演奏する。

すなわち、S R G M P D N S* ではなく、N. R G M D N S*、という上昇スケールになる。

このようなラーグ・カリヤーンの演奏ルールを踏まえると、以下のような即興フレーズが可能である。

S N. ,  D. N. R. D. S ,  M. D. N. S N. , M. N. D. P. , M. D. N. R D. S , N. R G , N. R N. G , G R , 

D. N. R G R S 

N. R G M R G , N. R N. M G , M R G R , N. G R S ,  N. R G M D P , P M R G , G M D , 

P M G R , M D N , 

M N D P , D M P G M R G , N. R G M R G R , D. N. R D. S

このフレーズも、音を伸ばす長さ、動き、表現を変えて、変化させることができるのだ。

 

 

◆このページの内容は全て、Dr.Prabha Atre著 「Enlightening the Listener」からの翻訳です。