5. キヤールにおけるバンディッシュの役割

音楽は、音と時間のみで構成された、非常に純粋な形式で成り立っている。そして声楽においては、音と時間と、もう一つ必要不可欠な要素、「言葉」が存在する。ヒトが音を形成するとき、母音と子音を使用するが、自身の声帯を使って音声を発し表現する声楽家は、この特性を生かし、言葉を以下の目的のため、有効に利用した。

1.単純に音を乗せる媒体として

2.多様なアーティキュレーションやイントネーションを生み出すものとして

3.言葉の構造にリズミカルなパターンを内包させるものとして

4.特定の感情の色合いを添えるものとして

声楽において言葉は、音楽要素の組織系に多様性をもたらすという重要な役割を果たしてきた。

声楽における要素

1.アーラープ - 通常、リズムを伴わない、母音で歌われる長い、または短いフレーズ。

2.ターン - 通常、リズムを伴う、母音で歌われる長い、または短いフレーズ。

3.ボル・フレーズ - リズムを伴ったり伴わなかったりするボル(言葉)を使ったフレーズ。

4.サルガム - リズムと伴ったり伴わなかったりする、音の簡略名を使用したフレーズ。

5.バンディッシュ - ラーグ、タール、ガートの特徴を内包させた、半既成曲。アーラープ、ボル・フレーズ、サルガム、ターンなどは、バンディッシュという柱を中心としてそれらのフレーズを展開させていくことにより、ガートを発展させていく。伴奏者の演奏するリズム構造に旋律のラインを乗せていくのだが、ムクラーと呼ばれる既成曲のある部分が、即興で編まれていく上記のフレーズの終結時に、周期のあるリズムサイクルの基準点、および休息点へ向かうフレーズとして機能する。

かつてバンディッシュ、またはその歌詞は、録音機器も印刷機器もない口頭伝承時代において、非常に重要な役割を果たしていた。バンディッシュを通せば、ラーグの本質的な性質や動きを習得し、記憶するのは比較的容易であったからだ。バンディッシュとは、ラーグの要素を結晶化したもの、またはラーグの種子のようなものなのだ。

ヴィランビット・キヤールにおいて、バンディッシュをタール・サイクルの最初のラインだけに減らす、という最近の傾向から、言語から自由になろうとする演奏家の試みがうかがえる。カルナーティック音楽においてもすでに、最初のラインのタール・バンディッシュのみを歌う、というのは流行になっている。(ラーガム・ターナム・パッラヴィ)

多くの習わしが、伝統、という名の下に盲目的に受け入れられてきており、それらを手放すことを人々は好まないものだ。そしてまた、変容をするためには熟考も必要である。音楽家はキヤール-「純粋」で「抽象的」な音楽の品質を、美しく表現することが可能な唯一のガート(ジャンル)-というスタイルの中で自由な表現へと向かっている。

キヤールのバンディッシュは二つのパート、「スターイ」、「アンタラー」に分かれている。スターイ部分では主に、ラーグの音列の低音域から中音域までの展開をサポートするため、アンタラーは中音域から高音域までの展開をサポートするような構成になっている。したがってアンタラーの必要性は、スターイで提示される音調の文脈やラーグの特性、声楽家の音域や好みにより変化する。

声楽において言葉は、排除し得ない音楽要素の一つである。しかしキヤールとは、ラーグという抽象音楽を、少ない言葉を使用することで、言葉の意味性から自由になり、声楽家が「音」で表現することが可能な様式である。なので、特にヴィランビット・キヤールにおいて、必要最小限の短いバンディッシュのフレーズをタールの1ラインにのせるだけにとどめたり、もしスターイ・バンディッシュがアンタラーの目的をも果たしている場合、アンタラーの演奏をスキップする、というのは自然な表現の変容であり、古典からの逸脱とは言えないだろう。

芸術というものも、必要性により生き残って行くものだ。目新しさを追求することにより、キヤールのバンディッシュにサンチャリやアーボーグを追加したり、アシャトゥパディに変換することだって可能だろう。

伝統について語る前に、スターイ、アンタラー、言葉の重要性など、以下に挙げた点について考察するべきである。

  • スターイの中で高音域まで含まれているバンディッシュがあるのだから、低音域を含むアンタラーを作ることは間違いなのか?
  • ガート展開時において、すべてのセクションの即興展開後、サムに着地するまでにすべてのバンディッシュを演奏してもいいのではないか?
  • トゥムリー、ダードラーや、ライト・ソングのようにキヤールにおいても歌詞の発音や意味に重きをおいてもいいのではないか?
  • ドゥルパド・ダマールにおいて、サンチャリ、アーボーグが歌われなくても議論されないのはなぜか。
  • 盗用を恐れた、多くの古い声楽家たちは、演奏の際、バンディッシュのアンタラーを歌わなかったり、弟子にスターイだけ、もしくはさらに短いフレーズ、ムクラーだけしか教えなかった。彼らの音楽はそれによって不完全になったと言えるのだろうか?
  • 非常にゆっくりとしたテンポのタールで展開されるため、ヴィランビット・キヤールにおいて、言葉の音調構造や、文学的意味合いが失われたという風にも見られる。したがって、ヴィランビット・キヤールの場合は短い歌詞、またはバンディッシュが望ましい。

ドゥルット・キヤールになると、演奏のテンポは速くなるため、展開のプロセスも速くなっていく。そのため、言葉はその音調構造を維持し、文学的意味も聴衆に聞き取りやすくなる。同じ一つのラインをドゥルット・キヤールで繰り返すことは単調に聴こえがちなので、長い歌詞、またはバンディッシュが望まれる。

単語の発音と、その意味を注視することが重要なのである。ガートとラーグの構築に役立つのであれば、バンディッシュの長短はあまり重要ではない。美的抽象音列であるラーグを展開するキヤールという様式にとって、必要最低限の言葉を使用し表現するというのは、論理的かつ自然なことである。キヤールこそが、それを表現することのできる最も「純粋」な表現様式、ガートであるとも言えるだろう。

器楽においては、バンディッシュはガットという部分と、スターイ、アンタラーという同じようなパーツに分かれている。器楽演奏においてもガートを展開させる際、スターイだけを使用する、ということがよくあるのは興味深いところである。

 

図)プラバンダ-アシュタパディ/ドゥルパド-ダマール・バンディッシュ/ヴィランビット・キヤール・バンディッシュの変遷

 

 

◆このページの内容は全て、Dr.Prabha Atre著 「Enlightening the Listener」からの翻訳です。