8. ラーグ・ラスとラーグ・サマイ new!

音楽、それは芸術と呼ばれるものの中で最も純粋性を保った表現様式である。音楽のもつ抽象性は、この世界すべての「既知」なるものからそれを切り離す。しかし、ひとは自分の感情を意識的、無意識的に音楽で表現しようとするため、音楽に明快で具体的なものを求めるようになった。インド音楽におけるラーグの概念は、音楽の抽象性、純粋性を非常に高い品質で保っているため、ラーグをその抽象性そのものとして表現し、伝えるということは演奏者にとっても、受ける一般の聴衆にとっても理解することが困難だ。しかし、抽象的ラーグ概念といくつかの「既知」的(または具体的)要素とを関連付けることにより、ラーグに特定の個性を持たせ、聴衆が感情をともなった内容としてそれを体験することができる助けになる。そのため演奏家は、ラーグ表現を展開させてゆくプロセスにおいて、理論的な知識、高い技術があるにも関わらずラーグの「抽象性」を「具象的」にするための外的要素を用いようとするのだ。しかし、ひとたびラーグの演奏が展開されると、再びそれは「既知」なるものから切り離され、独自の抽象世界に戻ってゆく。

ラーグ・ラス、ラーグ・サマイの概念はラーグの「抽象性」に「具象性」を加味する試みである。

ひとは季節や時間帯により旋律を特定し、その音楽を通し、自然の様々な様相を呼び起こす。彼らの音楽の中に神々の名前を登場させ、そこに神の存在を求めた。彼らは自身の奏でるメロディにラス、またはある特定のムードを関連付け、彼らの音楽に独自性を持たせる助けとしたのだ。

ラーグ・ラス(ムード)

ラス理論は2世紀、または3世紀に、バーラタが著したとされる演劇理論書、「ナーティヤ・シャーストラ(古典演劇)」のなかで最初に提言されたとされている。「ラス」という言葉は通常「感情」、もしくは「心理状態」という風に訳される。

その理論はこうだ。ある特定の刺激が演奏家にある種の感情を芽生えさせたとき、演奏家はさまざまな手法を用い、その感情を伝えようとする。そのときに、より優勢に現れた感情を前面におく。

バーラタは、8つのラスを提示した。

1.シュリンガーラ(官能)

2.カルナ(悲哀)

3.ラウドゥラ(忿怒)

4.ヴィーラ(勇猛)

5.ハースヤ(滑稽)

6.バーヤンカラ(恐怖)

7.ビーバトゥサ(醜悪)

8.アドゥブタ(驚異)

9つ目のラス、シャーント(平安)はのちの作者により付け加えられた。

ラーグ表現の中で主に用いられるのは、シュリンガーラ、カルナ、シャーント・ラスだ。

のちの解説者であるアビナヴァグプタは、すべてのラスの最終形態はシャーント・ラスになると述べている。聴衆に喜びや至福の状態を呼び起こすことが演奏家の目的であり、それが結果として、シャーント・ラスをもたらす。

「ラス」と「バーヴ(感情)」は密接な関係にある。バーヴがラスを生み出し、ラスは聴衆にバーヴ、感情的影響を与えるからだ。

ラーグ・ラスは、視覚的に、過去との関連を感じ、音楽に関連する言語的やりとりなどを通し経験するのがもっとも適しているだろう。

ラーグ・マーラー絵画(インドの細密画、楽曲絵)や、ディヤーン・マントラ(禅定マントラ)などは、抽象音楽におけるラスの知覚化、または具体的テーマの創造を行うことに役立つだろう。また、ラーグ・サマイ、ラーグの時間理論は、ラーグ・ラスに必要なコンテクストを与えた。このようなことから、古代から、特定のラスを特定の旋律に関連づける、という試みがなされてきたのだ。

これらは、音楽をキャラクター化するために重要で実際的な試みであったし、音楽家が、類似の特徴を持つラーグを区別するのに役立った。しかしながら、ラス理論を音楽といったような抽象的な芸術、ラーグといったような抽象的な概念に用いるということは適切ではない、ということは認識しておかなくてはならないだろう。音楽自身は、この世界の何ものをも表してはいない。音楽は独自の言語と意味をもっているのだ。音楽の中に特定のラスを感じるとするならば、それは個人的経験によるものであり、演奏家と聴衆、双方の心の状態に依存する。そしてそれこそが演奏者と聴衆が共有する、アーナンダーヌボーティ(喜び)なのだ。

現在では、ラーグ・ラス、ラーグ・サマイともに、それに厳密に従う、ということよりも、伝統としての条件付けといった意味で言及されることが多くなっている。

現代の音楽におけるラス理論では、感情的美観は主に声の表現力、音楽素材の扱い方、テンポによって引き出されると主張している。また、言語的表現、関連性を効果的に狙った視覚表現なども、特定のラス、ムードを音楽の中に見いだすことに役立っている。しかしラーグは、その表現素材、アーラープ、ターン、サルガム、そしてボル・フレーズのどれを使用しているかに応じ、同じムードにおいて、さまざまな側面を表現することができる。そしてテンポは、スピードによりムードを作り出すという重要な役割を果たしている。

ラーグ・ラス理論には、以下に述べる多いくつかの疑問点が見受けられる。

1.ラーグは特定のラスに起因する。しかし歌詞のテーマはしばしばラスで示されるムードと矛盾していることがある。ラーグ・バイラヴィはカルナ・ラサ、悲哀のムードを持つラーグと認識されているが、多様なテーマを扱うバイラヴィの多くの歌詞は、ラーグにその意味を加味し、リスナーはそれを享受している。

2.ラスに関係なくすべてのラーグでテンポが速くなるにつれ、活気に満ちた明るい雰囲気を生み出している。

3.いくつかのラーグは、長い年月を経て、以前の名称を保持したまま大幅に内容が変更された。では、それらのラスはどうなるのか?

4.ミシュラ・ラーグにおけるラスについて-異なるラスを持ついくつかのラーグを組み合わせたミシュラ・ラーグの場合、ラスはどのように変化するのか?

5.新たに作られたラーグにおけるラスはどう定義するのか?

6.インド人と非インド人では、特定のラーグ 演奏を聴いて共通のラスを経験するだろうか?

7.同じラーグが別の演奏家によって演奏される場合、または同じ演奏家によってひとつのラーグを異なる時間に演奏する場合、すべての聴衆は同じラスを経験するのだろうか?

上記の項目はすべて、ラーグのキャラクターとムードが、本質的にその音楽素材と、その扱い方と連動しているということを証明している。ラーグそれぞれの、その特徴的なフレーズとその動きは、音楽的な個性と美しさを与え、美的感情を生み出す。これらの美的感情は、演奏者や聴衆の心の状態によって、特定のラス、またはムードに変換されるのだ。

これらについては、科学的検証が必要なのかもしれない。

ラーグ・サマイ(時間)

ラーグ・サマイ、ラーグの時間理論(それぞれのラーグには演奏されるべき時間帯が定められているという理論)は、ラーグの「抽象性」に、「具象性」をもたせる為の、もうひとつの試みである。かつて人々は、おそらくラーグと特定の時間との関連性について説明できるほどに、自然と密接した生活をしていた。しかし現代のわれわれの生活とは、自然から遠く離れており、人口の環境、閉じた壁の中で生活をしている。生活習慣が大きく変化したこの状況下、ラーグと時間を関連づけることはできるのだろうか?

ラーグの時間理論について考えるべき項目もいくつか挙げられる。

1.テレビ、ラジオ、レコーディングスタジオでは時間関係なくラーグを録音、収録するが、そのラーグ表現に影響を与えてはいないようだ。しかもテレビやラジオ番組では必要に応じ、いつでもその録音したものを放送している。ラーグのムードが時間により表されるといった考えは、公の場での公演のみに限られている。

2.われわれは時間にこだわらずラーグの練習をするが、それがラーグの持つ個性、雰囲気などに影響を与えたり傷つけたりということはないようだ。

3.ミシュラ・ラーグについてはどうだ。ラーグ・バイラヴ・バハール、ヤマニ・ビラーワルは午前中のラーガと定められているのはなぜか?バハールもヤマンもそれぞれ夜のラーガとされている。なのになぜこれらのミシュラ・ラーグは夜に演奏されることはないのだろうか。

4.純粋なラーグをベースに作られた映画音楽やナッティヤ・サンギート(演劇歌)、もしくは賛美歌などを聴くとき、ラーグの時間理論についての考えが聴くものの頭をよぎるだろうか?それどころか、いつの時間帯であっても、そのラーグを楽しんでいるようではないか。

5.カルナティック音楽は、より伝統的縛りを残していると考えられている。しかしそこでは、時間的理論に厳密に従ってはいない。比較的柔軟性のあるヒンドゥスターニー音楽では、依然として時間理論を提唱しているのはなぜだろうか。

時間理論に厳密に従わなければならないとなると、コンサートの開催される時間外にあるラーグの多くをわれわれは失ってしまう可能性がある。それはインド音楽において、非常に大きな損失なのではないだろうか。

現在、ラーグ・ラス、ラーグ・サマイについて伝統文化保持のために強く言及されている。ラーグ・ラス、ラーグ・サマイの概念は古くからの伝統により、われわれの精神に深く浸透しているものだ。しかし現代、それらはわれわれとの関連性を失い、時間の経過とともにその文脈も失ったが、それでもなお、盲目的に守られている。これらの関連性を科学的に検証する必要もあるだろう。新たな道を提唱することも伝統の持つ特性ではないだろうか。伝統が、進歩や成長の妨げを始めるのだとしたら、それは伝統ではなく、別のコンテクストによって再定義されるべきである。伝統は破損したり、破壊されることなく、新しい方向性を提供すべく活性化するだろう。

 

◆このページの内容は全て、Dr.Prabha Atre著 「Enlightening the Listener」からの翻訳です。