9. サルガム:音楽素材 new!

ラーグとタールという概念は、非常に独特なインド音楽の特性である。ラーグという旋律概念の進化は、さまざまな音楽素材を生み出すことに直接的に役立ってきた。ラーグ表現のために時代を経て出現してきたさまざまなガート(形式、ジャンル)によっても、多くの音楽素材を生み出してきた。

「サルガム」は非常にユニークなインド音楽の特性のひとつである音楽素材だ。ゆっくり、または早いテンポのフレーズを、アーラープ、ターン、またはボル・フレーズといった言葉を乗せて表現する技法は、おそらく他の音楽カルチャーの中にも見受けられるだろう。しかし、ステージでの演奏で、短縮された音名を発音しながらのフレーズ展開という表現はインド音楽特有のものである。

音楽の基本要素は、音と時間である。

この2つの要素が組み合わさり、2つのタイプの音楽素材、「アーラープ」、「ターン」を形成する。しかし、声楽には、この2つのほか、もう一つの素材が存在する-「言葉(意味を持つ、持たないに関わらず)」である。声楽家の発する言葉が、3つ目の音楽素材「ボル」を生み出すのだ。さらに、音名を短縮した形を発音して表現するという「サルガム」を、4つ目の音楽要素として生み出した。

このように、ヒンドゥスターニー古典声楽は、4つの音楽要素(歌唱法)から構成されている。

1.母音を採用した、ゆっくりとした唱法 - アーラープ

2.母音を採用した、速い唱法 - ターン

3.言葉を採用した唱法 - ボル

4.音名の短縮音を採用した唱法 - サルガム

音名の短縮音

インド音楽が発展してきたある段階で、7つの幹音を、シャダジャ、リシャブ、ガンダール、マッディヤ、パンチャム、ダイヴァット、ニシャードと名付けそれぞれを区別した。そして、これらを短縮した音で発音することが、サルガムを音楽素材として使用するのに重要なステップとなる。しかし、なぜこれら幹音を短縮した音、サー(Saa)、レ(Re)、ガ(Ga)、マ(Ma)、パ(Pa)、ダ(Dha)、ニ(Ni)、と発音する必要があったのだろうか?

1.まず第一の理由は明快で、インド古典音楽を学習する際、教える際、練習する際にそれぞれの音名のフルネームを発音するには、その音名の一つ一つが冗長で扱いづらいからだ。それぞれの音名のシラブル「サー、レ、ガ、マ、パ、ダ、ニ」で発音するほうがずっと楽である。サルガム唱法は、音階、音調の練習をするのに非常に実際的だ。

2.第二に、サレガムで歌うと、出した音と音名を同時に識別することが可能になるということがある。たとえば、パ、と発語することによりその音がパの音程で、パという音名である、ということが同時に認識できるということだ。歌唱行為をより意識的に行う、ということがサレガムの重要な側面の一つなのである。

3.第三に、単音節形式を採用することで、リズムの認識がしやすくなり、リズムとテンポの構造に、より慣れることができる。サレガム唱法をそのような目的で配置することにより、様々なタールのリズミカルな分割が強調され、音とリズムの相互作用が際立つのだ。

16拍のティーンタールで、1拍に単音、2音、3音、4音を、別のテンポによって歌うことができる。4分割されたティーンタール(それぞれが4拍で構成される)において、サレガムで歌唱すれば、分割されたそれぞれの1拍目を強調して歌唱することが可能だ。これを、音名をフルネームで歌うとそうはいかないだろう。なぜなら、音名のフルネーム自体がいくつかのシラブルで成り立っているため、リズムに重きをおいた練習において、1拍にフルネームを歌うことは不可能だからだ。このようなサルガム唱法を用いた練習は、さまざまなテンポでの音列パターンを即興で作るよい練習になり、タールの構造に自然にフィットしたパターンを作れるようになるだろう。

4.第四の理由として、 音名のフルネームで思考したり作曲するよりも、サルガムで考えるほうがずっと実際的だ、ということがある。。また、フレーズの構造を記述したり分析したりする際、フルネームの音名を採用するのは非常に煩雑であり困難になる。

よってサルガム記載法、唱法は、インド音楽の学習、暗記、練習、理解、作曲、分析、そして解釈をするのに欠かせない手段なのだ。

これらの理由から、インド音楽の基本的な七つの音にはそれぞれ名前がつけられてはいるものの、実際は、さまざまな理由により省略されることとなった。インド音楽における上記の事柄を、単音節のサルガムのほうがはるかに効率的に行うことができるのだ。

学習時や練習時にサレガム唱法の有用性は明らかだが、アーラープやターン、ボルのような、パフォーマンス時における美的表現を、サルガム唱法で表現することは、果たして可能なのだろうか?演奏時に、必要とされる素材足りうるのだろうか?

声楽において、母音の発音だけが、長く引き伸ばして発音することができる。「ア、アー、イ、ウ、エ、オ」といった母音は、言葉、歌詞を形成し、音を運ぶ乗り物のような機能を果たしている。音節は、母音の前につく子音で、例えば、「ア(a)」、または「アー(aa)」の前にNをつけ、「ナ(Na)」、または「ナー(Naa)」となる。言葉は、単数、または複数の音節で形成され、意味のある言葉となる。

例えば、グル(師、という意味)という言葉

guru = gu + ru = g + u + r + u

 

サルガムとボル

サルガム唱法は、サルガムのそれぞれの音節が音符の位置(音程)と一致している必要があるという点で、ボル唱法の音節の性質とは異なった性質を持っていると言える。つまり、レ(Re)の音節では、レの音を出していなければならないし、ダ(Dha)の音節では、ダの音を出していなければならない。ボル唱法で歌う場合、ボルで歌われる言葉と、音程に制約はない。

注意すべき点としては、サルガム唱法もボル唱法のように音節により音楽フレーズを形成するが、ボルによる表現とは異なり、音楽としての意味はなしても、言語としての意味は持たない。

ボルアーラープとアーラープの構造は非常によく似ている。同じ音の連なりを歌っていても、それが母音で歌われているか、言葉を使用しているかで、その雰囲気はまた異なってくる。

  (*訳注 スミラ=思い出す、という意味)

言葉には、それぞれの音節の母音の長さが異なるため、固有のリズムがある。

例えば、s + u、 m + i、 r + a という母音で形成される「スミラ」という、意味を持つ言葉で考えてみよう。固有の長さを持つ音節で形成された言葉であり、その文学的意味は、その単語を通し表現される音楽フレーズの全体的な効果に影響を与える。そのため、アーラープとボルアーラープが、同じ音符のパターンと動きであったとしても、その言葉の音節と文学的意味によってもたらされる様々な影響により、これらフレーズは、異なる響きを持つことになるのだ。

リズム成分の変更、または同じセットの音列で、テンポが速まったとき、ボルアーラープは、音楽要素をリズミカルに表現する音楽素材に変化するため、ボルターンとなる。

アーラープには、ラーグのディテールを、より細かな側面から、詳細に探究する可能性を持っている。ボル、サルガム、ターンもまたラーグを精巧に展開するのに用いられるが、これはラーグの音楽素材に、「多様性」と「新規性」をもたらす効果として有用だからだ。

したがって、ラーグの構造がアーラープによって詳細に提示されたとしても、ボル、サルガム、ターンといった、その他の音楽素材を採用することによって、また別の動き、効果をもたらし、ラーグの美しさとムードのさまざまな側面を引き出すのに不可欠となるのだ。

1.アーラープ-ラーグの抽象的で瞑想的な性質を表出する。

2.ボル-さまざまなイントネーション、アーティキュレーションを作り出したり、特定の意味づけをしたり、言葉の音節によるリズミカルなアーティキュレーションを作り出すことができる。

3.ターン-速度を増した、リズミカルなパターンによりクライマックスへ向かう展開を作る。

4.サルガム-アーラープ、ボル、ターンにより採用しうるすべての組み合わせ、動き、テンポ、表現に役立つ唯一の音楽素材である。音楽的言語で表現をし、エキサイティングな雰囲気を作ることもできる。

ここでいくつかの疑問が上がるだろう。

1.他の音楽素材、アーラープ、ボル、ターンと、サルガムは音楽素材としてどのように異なる性質を持っているのか?

2.他の音楽素材にできない、サルガムにだけ可能なラーグ描写とはどのようなものがあるのか?

サルガムと、アーラープ、ターン

単音節の音名、サー、レ、ガ、マ、パ、ダ、ニ、には、アー、エ、ア、イの、4つの母音がある。

 

音名

 

母音

 

サルガムの音節が発声されると、その特定の音節の母音が残る。そうするとそれは、アーラープの様相をなしてくる。なぜなら、アーラープは、母音によって発声されるからだ。それはある意味では、サルガム音節の構造のなかに、アーラープ固有の効果、または母音を通し運ばれる音が含まれているということになる。

インド古典音楽の定義において、ターンは、その速いスピードにおいてアーラープと区別される音楽要素だ。サルガムもターン同様、速いスピードにより歌われることもある。したがって、サルガム唱法は、母音で構成されるだけでなく、異なるテンポによっても表現しうるのだ。

サルガムと、ボルアーラープ、ボルターン

ボルアーラープとボルターンは、基本的には、アーラープとターンに言葉を乗せた歌唱表現の一つである。言葉は、いくつもの音節を含んでいたり、異なる長さで構成されている。これらの音節は、言葉の文学的意味を通し、感情の色彩を音楽のフレーズに乗せられるだけでなく、単純、または複雑なリズムパターンを作成できることから、ボルが使用されるようになった。

言葉によって異なるリズムパターンを生成する過程において、単語の音節はリズミカルなメロディパターンと融合しながら、伸びたり縮んだり、分割されなければならない。こうすることは、単語の文学的完全性に、音の構造、意味の両方の点で大きな影響があることは確かだ。歌手は、ボルを使用しながら、そういった面での妥協を余儀なくされる。リズムパターンの表現を優先するために、その言葉の意味性が不明瞭になることに目を瞑るか、言葉の意味性を損なわないように、リズムパターンを調整するか、どちらかを選択することになるだろう。つまり、単語の意味の完全性をボルフレーズで保持するためには、リズムパターンを制限しなければならなくなるのだ。リズミカルな表現に重点の置かれた表現の場面でボルが使用されると、多くの場合、その感情的な味わいは失われ、非常にドライな、意味のない音節としてしか言葉が浮かび上がってこなくなてしまう。これが、いくらかのアーティストに、ボルフレーズの使用が好まれない理由である。

サルガムとボル

そういった言葉に対し、サルガムには多くの利点がある。まずひとつは、サルガムは単音節表現であり、ふたつ目に、そこに文学的意味性がもとから存在していない、というのがある。したがって、単語の構造の歪み、文学的意味性を無視しなければならない、といった問題と無縁になる。そういったことから、サルガム歌唱は、複雑な、リズミカルでメロディックなパターンの生成、表現したい感情的、または美的感覚の伝達に非常に適したものになるのだ。

リズム要素

純粋な音楽的観点から見ると、ラーグのリズミカルな表現という側面において、アーラープ、

ボルフレーズ、ターンよりも多くの可能性を持っている。サルガムは、特定の表現、動き、またはテンポに制限されておらず、言葉の意味性にも縛られていない。これが他の音楽表現要素と、サルガムが異なる部分である。他の歌唱表現では非常に難しい、または不可能なパターンのフレーズも、サルガムで歌うことにより、非常に容易に、そして自然に響かせることが可能なのだ。

 

例えば、このような突然の大きなジャンプを含む、3オクターブの音符を組み合わせたフレーズにおいても-

サルガムを使用すればそれを優雅に表現することが可能になる。

音楽的意味合い

サルガム唱法をさらにユニークなもの足らしめるもう一つの側面として、音節としてのサルガム唱法は、その音声だけでなく、特定の音楽的意味合いをも持っているということがある。これがボルフレーズだと、その音楽フレーズはボル(言葉)の意味に影響されるが、単に、音名の単音節であるサルガムで作る音楽フレーズは、純粋に音楽的な意味合いのみが残ることになる。したがって、音の動きの可視化的表現を作る、という点で、サルガム唱法は非常に効果的である。ただしこれは、サルガムで歌う歌い手が、その音節を発音しながら、その音節通りの正しい音程を出すことに常に注意を払わなければならないという責任を負わなくてはならない。

純粋な音楽的アクティビティとして、サルガム唱法は、歌い手の知性を問い、創造性の新しい領域を提示することとなるだろう。

オーラルビューティ

サルガム唱法は、単にラーグをアルファベット化し、フレーズの概要を露呈するというような、無機質なエクササイズではない。演奏時におけるサルガム唱法は、聴覚に美しくうったえかける表現-生命力にあふれ、感情的な色彩が豊かで、美しい表現-でなくてはならない。サルガム唱法には多くのスタイルがある。しかしどのようなスタイルであっても、それが歌われるとき、特定の規定がそこにはある。

インド音楽は基本的に、跳躍的音の並びで構成されておらず、音と音を結ぶ優美なラインの連なりにより構成されている。この滑らかに美しくに描かれるラインの表現はミーンドと呼ばれ、ミーンドは、インド音楽の不可欠な音楽表現の一つである。そのほかの、カン、カトゥカー、アーンドーラン、ガマック、ムルキー・ハルカットなどの歌唱表現はすべて、ミーンドをより美しく、魅力的なものにするための装飾である。しかしこれらの表現は、装飾という領域に制限されているもので、フレーズを構成する音符をつなぐための基本的な歌唱法はミーンドだけだ。サルガム音節が、フレーズ内の個別の音符ポイントとして歌った場合、それはまるでスタッカートのような表現になるだろう。インド音楽ではそのような表現は用いず、音節から音節に滑らかにつなげるため、サルガム音節の母音により、滑らかな動きを生成する。

例えば、ラーグ・ヤマンにおける「N. R G M」というフレーズの中の「N.(ニ)」と「M(マ)」を歌うとき、「Ni.」の母音の「i(イ)」もしくは、「Ma」の母音の「a(ア)」は、前後の音節と滑らかにつながるために使用される。「N. R G M」というフレーズの中で「N.」から「M」につながる、4つの方法が以下の通りだ。

1. 母音「i」を、N.の音程位置で発音した後、そくざに「M」を発音、そこから音程位置「M」までを母音の「a」で繋げていく。

2. 「N.」の音程位置から音節「N」を発音、その母音「i」を音程位置「M」まで繋げ、音程位置「M」で「M」を発音。

 

3.「N.」の音程位置で音節「N」を発音、その母音「i」を「G」の音程位置まで伸ばし、音程位置「G」から「M」を発声、その母音「a」で「M」の音程位置まで伸ばす。

4.「N.」の音程位置から「N」を発音、その母音「i」を「R」の音程位置まで伸ばし、「M」を「R」の音程位置から発声、その母音「a」を「M」の音程位置まで伸ばす。

このような表現法は、以下のような意義が提起されるかもしれない。

音節の「Ni」が「Ni」の音程のみを表すのならば、音節「Ni」を「Ma」の音程位置まで伸ばすのは正しいのか?同様に、「Ni」の音程位置で「Ma」を発声してからその音程位置まで伸ばすというのは正しいのか?

ここで、その技術とテクニックが物を言ってくる。通常、サルガムの母音が通過する音は、その音節で示される音を、一時的にスウィープ、通過しなくてはならないものなのだ。

任意のフレーズの中で、カンを使用するか、もしくはロングスウィープ(長く滑る)のミーンド、またはアーンドーランを使用するかにより、そのフレーズは次のように変化する。

1.「N.R  G」のフレーズの中「RN」、「GR」、「MG」の間を、「ニ」、「レ」、「ガ」の母音、「イ」、「エ」、「ア」で、長く伸ばす場合。

                                                                               

 

 

 

●音程位置R、G、Mで、音節ニ、レ、ガを発声

●ニ、レ、ガ、マをその音程位置で発声

2.「G R S」のフレーズにおいて、「R」がカン・ノート、「ガ、レ、サ」の「ガ」と「サ」の間を、「ガ」の母音「ア」で軽くタッチする。

3.ラーグ・バイラブで使うフレーズ、「GM GR GR GR S」の「R」のアーンドーランにおいて、
 音程位置「G」で、音節「レ」を発声、「R」の母音「エ」を音程位置「R」まで伸縮させる。

     

 

 

 

●音節「レ」をGの音程位置で発声

● Rの母音「エ」をGの音程位置で発声

4.ムルキー・ハルカットで表現される「S N. R S S N.」のフレーズにおいて、最後の音符「N」以外を非常に速いスピードで最初の音節「S」の母音「アー」でつなげる。

上記の例から分かるように、サルガム音節は、その音節と別の音程位置で留まることはなく、その母音が別の音程の上を通過する、もしくは別の音符へと移行する際に触れているだけにすぎない、ということは明らかだ。

ムルキーを使ってサルガム唱法をする間、装飾のため、たった1つのサルガムの音節のみにより、音符の塊を緻密で繊細な方法で表現している。もしこのムルキーを構成する全ての音節を、サー、ニ、レ、サー、サー、ニ、と発音されたならば、このムルキーのすべての美しさの要素が失われてしまうだろう。したがって実際の演奏時においては、その表現の美意識性と創造性が優位になるため、サルガムの音節がそれと合致しない音符に触れてはならないという規制は緩和される。さまざまな音の組み合わせのかたまりを表現するのに、サルガム唱法は無限の可能性を持っており、サルガムで歌うことにより、その表現の探求性がより鮮やかに、より明瞭になる。サルガムフレーズをその音符と、音節の母音でつなげる、というプロセスは、意識的で創造的な行為であり、無知でいてはできないものだ。全てのタイプの音符のパターン、流れ、装飾は、サルガムを使用し歌われる際に、その内容が可視化される。その音楽の創造的可能性から見ると、サルガム音節の母音によって、ある一定の動きのフレーズの一時的に通る音符を歌うことにより、また多くの可能性が生まれる。

例えば、「N」から「R」に移行するフレーズの場合:

1.NiからReまでの、すべての音を「ニ」の音で、Niの母音「イ」で発声、Reの音の場所に到着したときに、レで発声する。

2.音程位置「Ni」で音名「ニ」を発音、音程位置「Dha」まで「ニ」の母音「イ」を伸ばし、音程位置「Pa」で音名「パ」を発音、音程位置「Ma」まで「パ」の母音「ア」を伸ばし、音程位置「Ga」で音名「レ」を発音、音程位置「Re」まで「レ」の母音「エ」を伸ばす。

3.音名「二」の母音「イ」を音程いち「Ma」まで伸ばし、「Ga」の音程位置で音名「レ」、音程位置「Re」まで「レ」の母音「エ」を伸ばす。

単語の持つ文学的意味性、音楽的クオリティを維持するために言葉を正しく発音しなくてはならないのと同様、さまざまな美的感情を喚起するためには、サルガム音節も適切な発音をもって発声しなくてはならない。リズムに重点を置いた表現をする場合、サルガムの可能性はボル・フレーズや、ボル・ターンよりもずっと大きい。なぜなら、これら二つの音楽要素に、固有のテンポを含めることができ、ほかの音楽要素を使用することができるからだ。サルガムは、単音節であるという性質上、好きなリズムで音符のパターンを自由に探求することができる。このような自由な表現を許されるサルガムの多様性と、新規性は非常にユニークなものだ。ほかの音楽素材では成し得ない表現やbhaavを伝えることが可能なのだ。そしてそれらは、言葉による意味性より色付けされたものではなく、純粋な音楽表現として成立するのだ。

したがってサルガム唱法には、その組み合わせ、テンポ、表現、および効果において、非常に幅広い可能性を持っている。練習では、単なる音名として、単純な方法で訓練するが、演奏時には、音と音を滑らかに繋いだり、適切な装飾を多用し表現する必要がある。サルガム表現は、演奏者と、聴衆、その両方の知性に訴えかけてくるものだろう。サルガム表現による美と驚嘆の探求が身を結んだとき、双方に大きな喜びがもたらされる。特定のターンには非常に繊細で複雑な動きを持っており、それらはときに、玄人の耳でも認識するのが困難なものがある。このようなターンでも、サルガム唱法によるとそれは解釈の手段となり、演奏者の意図をより直接的に伝えることができる。複雑な動きやそのパターン、および全体のデザイン性を把握しやすくなるため、その音楽性を評価するのに非常に役に立つだろう。

サルガム唱法は、その表現の多様性にも関わらず、その使用は、特にマハーラーシュトラ州の一部のトップミュージシャン、学者、批評家たちにより、強く批判されてきた。

以下のような意見がその中でもよく見られる批判のいくつかである。

・サルガム唱法は、音楽フレーズの骨格を可視化してしまう。

・サルガムの音節では、音と音を繋いでる間の音までもその音名で歌うことはできない。

・サルガム表現は、単にその目新しさのためだけに導入された。ラーグ、またはガートをすべての側面を表現するのには、アーラープ、ターン、およびボルによる表現で十分だ。

公の前での歌唱の中で、サルガム唱法を使用している最も古い録音は、キラーナ・ガラーナーの巨匠、ウスタード・アブドゥル・カリム・カーンのものだ。当時のシニア・アーティストたちが、サルガム唱法に注意を払わなかった理由は明らかではない、彼らは意識的にそこに言及するのを避けていたのか、またはサルガム唱法は、コンサートで禁じられていたのか?当時、新しい生徒に教えるときでも、アローハ(上昇音階)、アブローハ(下降音階)、またはパルター(パターン)を練習する際、そのラーグとの親和性を強めるためにサルガムを使用するくらいで、ほとんどサルガム唱法が採用されることはなかった。中にはサルガムをまったく知らない学習者もいた。おそらく当時のグルたちは、弟子たちが簡単に理解することを望まず、彼らが苦労して得た知識を、誰にでもたやすく分配することを望まなかったのかもしれない。ーサルガムを教えるということは、音符の動きに光を当てて、音楽を想像する意識を高めることだから。

のちに、ベンディ・バザル・ガラーナー(流派)のアマン・アリー・カーンが、自身の演奏の中で、サルガム唱法を採用した。彼の弟子である、シヴ・クマル・シュクラはその唱法を受け継ぎ、人気を博した。しかし彼は、非常に早い年齢で、ステージでの演奏活動をやめてしまった。それにより、このサルガム唱法は、十分に人々には届かずじまいに終わった。

サルガム唱法を深く研究し、演奏の場に意識的に取り入れたのは、アミール・カーンと、バデグラム・アリー・カーン、二人の巨匠だった。現在採用されているサルガム唱法は、この二人の音楽家からインスパイヤされたものだ。

そして現代、新世代の演奏家たちが古典演奏会においてサルガム唱法を多く用いるところを見ると、その関心は高まっているということが見てとれるだろう。現在、さまざまなスタイルのサルガム唱法があるが、それらは器楽やカルナータカ音楽からの影響が強い。

音符の繊細でしなやかな流れや、その緻密な構造。複雑かつ軽快な動き。息を呑むような3オクターブに渡る音のジャンプや、ジャーラーのようなターンなどすべて、シタールやさロードといった弦楽器演奏の特徴であるし、音符を振動させたり、音名をアクセントをつけて発音したり、複雑なフレーズの構造化などはカルナータカ音楽的な唱法だ。

インド音楽は伝統的な師弟間の口伝により継承されてきてる。インド古典音楽はその性質上、読み書きにのみによって学ぶことは不可能だ。実際に耳で聴き、熟考し、グル(師匠)の監視下のもと修練を重ねる。学習者は、あらゆる面において、これらを経験する必要がある。そのため、インド音楽において、グルという存在は非常に独特な位置を占めている。

しかし時代は変化したようだ。グルが学習者に何かを隠そうとしても、賢い学習者には、自分の好きなことを学ぶための多くの道があるし、現代の科学技術がものごとにアクセスしやすくもした。録音物や、記譜本が、今やグルに取って代わったようだ。

そして音楽学習者や、音楽愛好家の数も増加している。そのため、個人訓練と同時に一般学習も必要となった。教育におけるサルガム唱法の必要性を重んじたヴィシュヌ・ディガンバール・バルスカルや、ヴィシュヌ・ナラヤン・バートカンデのような偉大な教育者は、その考えを意識的に取り入れたのである。

サルガム唱法とは、新しいものだったのだろうか?古い伝統的な考えにしたがえば、サルガム唱法のようないわゆる新しいとされるものは、古い考え、古い慣習の新たな顔、側面である可能性がある。サルガム唱法が古い演奏に含まれていなかったとして、それが純粋で強力な音楽素材であることが証明されている今日、それを採用することは何ら問題ないのではないか?サルガム唱法を採用したことにより古典音楽の運命に活力と多様性が付加されただけでなく、古典音楽がポピュラーになってゆく一助にもなったのだ。むやみにその存在を否定するべきではないのではなかろうか。

ラーグ演奏中、アーラープ、ターン、ボル、サルガムの配分は、ラーグの性質、演奏家の能力、性格、聴衆の雰囲気などに依拠する。真の芸術の求めるものは、ラスの創造、智の探求、そして人々の心に訴えかける能力を備えることである。芸術がそこへ到達するためにはもちろん、聴衆側も自らを偏見の念から解き放たれなければならず、そうすることによって初めて、人々はその芸術の創造的プロセスを体験し、享受することができる。

前述したが、音名が正しい音階で発音されていない、というサルガム唱法に対する非難を聞くことがある。しかし音名全てを音階で発音すると、フレーズ内すべての音をスタッカートとして個別に発音する必要がある。インド音楽的に、これをどのように受け入れることができるか?インド音楽の旋律は、音と音を美しいライン、カーブを描きながら表現するものであり、個別の音を独立して表現するものではない。

この旋律のライン、曲線を描くとき、音名の発音は、必要に応じ引き伸ばされる。音符から音符へ移動するときの、音符間の道筋の美しさを体現しなくてはいけない。音名をゆっくりとしたテンポで発音する場合、音名を引き延ばす、という手法を採用する。速いテンポで発音する場合は、音名を引き延ばす必要がないので、それぞれの音名をそのまま発音する。サルガム唱法がその唱法をどのように応用しているか、その理由を理解しなくてはならないだろう。

サルガム唱法は、ラーグの美しさを表現する方法の限界を拡大した。これによって演奏家の音楽活動における意識が高まり、活発な活動を行うことにより、聴衆を古典音楽へ近づけることができた。サルガム唱法は、単にラーグの文字表現、骨格描写をしてるのではなく、もっと多面的な音楽素材であり、美しく魅力的なサルガムの動きを通し、美的に感情を表現することを可能にする。

現在、トゥムリー、ガザル、バジャン、映画音楽、ポップス、ほとんどすべてのジャンルにおいて、サルガム唱法を採用している。サルガム唱法は、アーラープ、ターン、ボルなどと同様に、非常に効果的な音楽表現となっているのだ。他の音楽素材と異なる部分もあるが、非常に美しく印象的である。サルガム唱法は、音楽教育において、音楽を理解するための素材として、プレゼンテーションの要素として、音楽を普及するための一部として独特の位置を確立することができたのだ。

サルガム唱法が他の音楽素材では実現できない表現ができることにより、声楽ならではの独自性を確立することもできる。音楽とは、音とリズムにより構成されたものだ。サルガム唱法を介することにより、声楽は言葉の文学的側面から解放され、音楽の持つ、音楽的意味合いを純粋に伝えることに注力することができるのだ。

 

◆このページの内容は全て、Dr.Prabha Atre著 「Enlightening the Listener」からの翻訳です。