13. 映画音楽ーオーケストラコンサート new!

インド古典音楽家にとっても映画音楽は非常に魅力的な音楽だ。古典音楽家に、新しい考え、洞察を与えてくれる映画音楽は、しかし古典音楽の最大のライバルであり敵であるというふうに言われてきた。民衆を魅了してやまない映画音楽の魅力とは一体なんだろうか。

今日の映画音楽では、インドのフォークミュージックから古典音楽まで、あらゆる音楽のエッセンスを取り入れるだけでなく、海外のさまざまな種類の音楽や楽器をも採用している。魅力的であると思えばどこからでも拝借し、吸収し、自分たちの刻印をそこに焼き付けてきた。インド音楽の核心部分であるメロディーにとって有害とされる西洋のハーモニーを排除することもなかったため、映画音楽はインドの魂を持つ独自のハーモニーを生み出したとも言えるだろう。しかし、ハーモニーが使われているため、いわゆる音楽通からは、映画音楽は、非インド音楽であるとみなされた。西洋の音楽家たちは、インドで生成されたこの独特なハーモニーに対し、苦情を述べることはなかった。このインド製ハーモニーは、インド音楽にこれまでとは違った装いを呈し、新たな表情を生み、映画音楽の強力な基盤、背景となったのである。

インド製ハーモニーをバックに従え、インド音楽的な旋律の輪郭は、眩いばかりに際立っていった。しかしこのハーモニーは、時に苛立たしく、冗長で、力が入りすぎているため、旋律をかき消してしまうこともあった。しかしその原因は作曲家にあるだろう。今では、気の利いたハーモニーの挿入は、インド映画音楽の特徴となっている。

映画音楽は、誰もが口ずさめるシンプルな曲調、魅力的なリズム、そしてわかりやすい歌詞で大衆を魅了してきた。また、映画のストーリーと映像と曲が一体となり、曲自体の人気も高まるようになっている。今日、多くのインド人に好きな音楽は何かと尋ねたら、間違いなく映画音楽、という答えが返ってくるだろう。このような点から見ても、映画音楽は大衆音楽だと言える。

しかし、映画音楽は軽薄な音楽だと揶揄されることがしばしばある。それは、古典音楽家や音楽評論家が、映画音楽を深く考察、研究していないことに原因がある。

全ての音楽には、古典音楽同様、独自の文法や法則、技巧がある。プレイバック・シンギング(映画音楽の歌)は、見かけほど簡単ではない。よく訓練された古典声楽家であっても、映画音楽を歌うとなるとマイクに向かう前に100回は悩むだろう。映画音楽は、聴きやすい音楽ではあるが、そのテクニックは決して単純なものではない。

映画音楽は、自身が進化していく一方で、インド音楽全体に新たな可能性や豊かさをもたらした。聴衆にも、音楽の様々な側面を今までと違った角度から考えさせ、新しい方向を示した。ラター・マンゲシュカル、アーシャー・ボスレ、キショレ・クマール、モハンマド・ラフィなどのプレイバック・シンガーは、声の甘さ、まろやかさ、声色の変化域や音域の広さ、豊かな表現力、牧歌的でいて洗練され、正確でそして優美で明瞭で多様性に富んだ言葉の発音など、声の使い方に新しい基準を提示した。

楽曲製作には才能豊かな作曲家、器楽奏者、歌手、レコーディングスタッフが集結し、およそ4~5分程度の曲であるが、そこには多くの試行錯誤、エネルギー、努力、時間が費やされている。制作される非常に多くの楽曲の中から、「ベスト」な曲のみが発表されるこの世界の競争は非常に熾烈だ。

映画音楽では、扱われるリズムも特徴的だ。コンサートやテレビの音楽番組でも、さまざまな楽器がリズム楽器として使われているし、新し物好きの音楽家たちはまた、驚くほど多様な表現のリズムパターンを取り入れている。

しばしば映画音楽と古典音楽は、正反対の音楽として比較される。古典音楽は、その長い歴史と、受け継がれてきた理論、そしてその抽象的な性質ゆえに、より高い地位にあるとみなされる傾向がある。しかし、音楽に優劣などあるのだろうか?映画音楽であれ古典音楽であれ、また他の音楽であれ、その音楽の良し悪しを決めるのは、そのジャンルではなく、主に音楽家の才能と能力によるのではないだろうか。

映画音楽の道を選んだからといって、プレイバック・アーティストの音楽が劣っているなどと決めるのはフェアではないだろう。調子っ外れの歌を歌っていても、それが古典音楽ならば高尚であるなどというのは不公平な言い分だ。多くの映画音楽は純粋なラーグに基づいているという事実もある。そのような曲を古典音楽のコンサートのレパートリーに加えることに異論はないだろう。ナティヤ・サンギート(マハーラーシュトラ州の舞台音楽)も、古典音楽をベースにしており、それらは古典音楽のコンサートでも受け入れられているのだ。我々は先入観を捨て、どんな音楽にも心を開いていなくてはならない。そうして初めて、本当の意味での音楽通と言えるのではないだろうか。

ほんの数年前まで、音楽コンサート、と言えばそれは古典音楽のコンサートを意味していた。しかし現在では、ナティヤ・サンギート、ガザル、バジャン、バクティギート、さらに映画音楽など、ほとんど全てのインド音楽が、さまざまな魅力的なスタイルでのコンサートにおいて繰り広げられている。その中でも、「オーケストラ」と呼ばれる映画音楽をベースにしたショーは、絶大な人気を博している。このショーの主な出演者は、若き先鋭アーティストたちだ。新聞のテレビ欄には毎日のようにオーケストラ番組の放送予定が載っているほどだ。しかし残念なことに、これらの番組は期待通りの評価を得ることができていない。なぜならこれらの番組の過度な商業的アプローチが、音楽的レベルを下げているからだ。視聴率を得るために、さまざまな音楽とは無関係な仕掛けがされているため、真の文化人らはこれらの番組から遠ざかってしまっているのだ。このような形のオーケストラ番組が、映画音楽に対する社会の見方をさらに低いものにしてしまっている。

このオーケストラ番組の良い点は、若い多くのアーティストたちがこの番組に出演するという、自分たちの才能を開花させる良い機会を得ることができることだろう。彼らは賛辞を浴び、名声と富を得て、そして何より、自分たちの能力を向上させるチャンスを得ることができる。音楽を学ぶのには多くの資金が必要になってきている。彼らはオーケストラ番組から経済的支援を受けることができるという面もあるのだ。

ただ、数々のテレビ局で放送されている映画音楽をベースにしたリアリティ番組では、ダンス要素の割合が増えてきており、音楽が視覚芸術になっていってしまっている。これでは、出演者の注意が散漫になり、音楽の部分が疎かになってしまいそうだ。彼らの才能が無駄にならないことを願うばかりである。シニア・アーティストや音楽監督による映画音楽ナイトショーなどは、高い水準を保っているが、このような番組は稀である。多くの音楽番組には莫大な費用がかかり、運営はそう簡単なものではない。大企業はこうした番組のスポンサーになってはくれるが、古典音楽コンサートのスポンサーを見つけるのはとても難しい。

映画音楽のレベルが向上するのは、映画音楽リスナーが、良い映画音楽と、悪い映画音楽の区別がつくようになってからだ。そのとき初めて、人々は古典音楽にも目を向けるのではないだろうか。そういった観点からも、音楽教育において、古典音楽以外のさまざまな音楽を学ぶことがいかに重要であるかということが理解できるだろう。

 ◆このページの内容は全て、Dr.Prabha Atre著 「Enlightening the Listener」からの翻訳です。